大学時代に通ったダーツバーin京都
僕がダーツを始めたきっかけが京都に住んでいたころ、「タイグズ」という木屋町にあるアイリッシュパブでバイトしていたときというのはかなり前の動画で話したことがある。
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そしてすぐにソフトダーツも本格的に始めるようになる。
そこがCD’sだった。
2008年CD’sは当時(現在では分からないが)京都外国語大学のド真ん前にあった。
大学生時代、アイリッシュパブでバイトをしながらハードダーツを始めていた僕は、自分が通う大学のド真ん前にあるそのお店がずっと気になっていた。
場所は葛野大路四条、そのビルの一階には「八剣伝」という居酒屋が入っていて、二階にCD’sがあった。
CD’sは大きなガラス張りになっていて、遠い外からでも店内の賑わいがよく見えた。
少し照明が暗めの店内にカラフルなネオンで輝く何台ものソフトダーツボード。
ミラーボールも輝いていただろうか、店内はいつも人がいっぱい。
僕はガラス越しに楽しそうに人々がダーツをする光景をいつも遠くから眺めていた。
「一体あそこはどんな場所なんだろう」
自分のバイト先でハードダーツしかしたことがなかった僕は「いつか行ってみたい場所」と思うよになった。
ある夜、僕は大学仲間達と酔っ払った勢いで始めてCD’sに入る。
学生をしながらパブでバイトをしていた当時の自分は毎晩お酒を飲んでいた。
バイト先で飲む、大学周辺に1人暮らししてる友達のアパートで飲む、桂川で飲む。
大学時代の90パーセントが酒に飲まれていた生活だった。
今でも単位がたりず大学を卒業できない夢をみる(留年したこともないし卒業もできているのに)
僕を含め大学生はみな大学周辺で飲みまくっていた。
そんなある夜、僕はいつも気になってたCD’sにお酒の力を借りて大学仲間と行ったのだ。
初めて入店した時のことははっきり覚えてない。
覚えてることは朝まで飲んでダーツしていたということ。
CD’sの何軒か隣にチースという小さな系列店も誕生した。
チースにはバーカウンターとソフトが一面くらい、ハードも投げれる狭いお店だった。
チースのバーカウンターに勤務していたのは沖縄出身のBJ、現在ではわからないが当時彼はモンスターのプレーヤーで日本代表選手になったこともあるという選手で、同じ時期に京都にいたリュウセイBOBOとダブルスを組む仲でもあった。
今から10年前以上、僕は初めて「プロフェッショナルダーツプレーヤー」生でみる。
彼のユニフォームは真っ黒で現在のプロ選手達のように胸に大量のワッペンは着いてはいなかったが、真っ黒い背中に白い文字で” Monster Barrels Design Bajo “と書かれてた。
カッコいいを通りこして、「プロダーツ選手って雲の上の存在なんだ」と思わせる何かがあった。
そしてある夜はCD’s、ある夜はチースといったように頻繁に通うようになっていった。
当時の実家が大学のチャイムも聞こえるほどの距離にあって、CD’sも実家から歩いて5分のとこにあった。
どんなにバイトが遅く終わっても、街で飲み遊びが終わっても、最終的にたどり着く場所がCD’sだった。
CD’sはいつも楽しい場所だった。
常連客はもちろん、いつもその場を楽しくするオーナーが好きだった。
ドアを開けると「おおお! ゆーすけー! きたかー!」と毎度大きい声で歓迎してくれた。
一緒にダーツもしたし、テキーラダーツもそこで覚えた。
テキーラショットを何倍も飲んで叫びながら倒れるオーナー、かと思えば一元客に迷惑がないようにシラフに戻ったような顔で接客するオーナー。
「本当にこの人はお酒が強いんやなぁ」と思っていた。
ある夜、そんなオーナーは僕のバイト先に遊びに来てくれた。
「今度僕が働いてるアイリッシュパブに遊びに来てくださいよ!」
僕の言葉を覚えていてくれたオーナー、突然お店に顔を出したのである。
オーナー「何が美味しいのここ?」
僕「ここは一応アイリッシュパブ&レストランなんでアイリッシュフードも美味しいですよ!
特にバンガーズアンドマッシュ(アイルランド風巨大ソーセージとマッシュポテト)がおススメです!」
オーナー「おう! じゃあそれもらおう!」
アイリッシュパブでビールもフードも美味しいと有名だった僕のバイト先。
あんな場所でバイトが出来たことをいまでも誇りに思うしオーナーさんにすごく感謝している。
これを注文したら間違いないトップ3のフィッシュ&チップス、ビーガンピザそしてバンガーズ&マッシュ。
僕がオーナーに迷いなくおススメしたのが巨大ソーセージマッシュポテトだった。
「んまぁ..!! なにこのマッシュポテト..!? こんな美味しいマッシュポテト食ったことない..!!!」
誰も座ってないバーカウンターで1人マッシュポテトが美味すぎると叫び出すオーナー。
そうとう気にいってもらったんだろう、オーナーはマッシュポテトのおかわりまでした。
「ちょ、ホンマまた食いにくるはこのマッシュポテト! 」
と言い喉に残ったマッシュポテトを最後の一口のギネスで洗い流してささっとお会計を済ましたオーナー。
また別のバーへの顔出しに夜の京都の街へと消えていった。
次にCD’sにお邪魔したのはそれから数日後だった。
その夜は「なぜアイルランドのマッシュポテトはあんなに美味しいのか」をテーマに語りあった。
ずっと通ってるうちに僕はCD’sのチームに入り、京都中のソフトリーグに出させてもらうようになっていた。
木屋町にあるアイリッシュパブでバイトしていた僕であった当時の自分。
CD’s集合でソフトリーグの試合に向かうため車で移動。着いた先は僕のバイト先のパブ付近ではないか。
いつも通りすぎてた雑居ビルに入ってエレベーターで上に上がるとダーツバーがあった。
「こんなとこにもダーツバーあったんですか!」と行く先々で驚いてたのを覚えている。
夕方から会って朝までダーツをするというソフトダーツチームメート。
リーグで勝利した喜びを分かち合ったり、なぜ負けたのかを語ったり。
こんなにダーツの時間が濃厚なひとときはいまでになかった。
そんなCD’sのチームがKDO(Kyoto Darts Organization)のハードリーグに参戦しだしたのだ。
このときから一気に京都中のソフトダーツチームがハードリーグに参戦しだした。
週1のハードリーグでしかダーツをしない京都のハードダーツ先住民は毎晩ダーツをしているソフトダーツプレイヤーの腕の良さに頭を抱えてたのを覚えてる。
「またソフトチームがハードリーグにチーム登録かぁソフトやるやつ上手いからこれは痛いなぁ」
僕が務めていたアイリッシュパブ、そこのハードリーグのチームメートでもあった僕はそんな言葉をよく耳にするようになった。
あるハードリーグの夜。
アイリッシュパブのバイト先のハードダーツチームに所属していた僕の相手チームはCD’s。
新しくハードリーグに加入したCD’sと戦うことになったのだ。
いつも一緒にソフトを投げるチームメートが午後7時ごろ「おじゃましまーす」とオーナーを先頭にゾロゾロ店内に入ってくる。
戦いの場所は僕のバイト先。
気まずい空気が流れた。
店内は2面ハードボードがかかっている。
右のボードにはうちのバイト先チーム、左にCD’sのチームが別々に行列を作って練習しだす。
僕は迷った。
「どっちの行列に並んで投げるべきなのか」
相手チームとのピリピリする空気がハードボード2面を挟んで流れる。
みんな相手チームと話し出す気配が全くない。
沈黙の戦いがもうすでに始まっていたのだ。
とそのとき
「やっぱこのマッシュポテトが一番上手い!!!!」
振り返るとCD’sのオーナーがエクスタシーを感じるかのようにあの気に入ったマッシュポテトをギネスで流し込んでいるではないか。
「.....くすっ」
僕は大笑いした。
そうしてオーナーが喋り出すといつしかお互いのチームメートは仲良くコミュニケーションを取っている。
オーナーがみんなにまんべんなく話すことでどんどんその場が柔らかくなっていった。
先程僕が感じていた重いプレッシャーはどこかに消えていた。
気がつけばみんな楽しくハードリーグの試合を楽しんでいた。
(写真は別チーム)
あのオーナーがマッシュポテトを食べていなかったら僕はいまだにどちらの行列に入ればいいか決心できずにいただろう。
CD’sのオーナーの須一さん、10年以上前の話しになりますがあのとき救ってくれたのはあなたです。
ありがとうござました。